金光教の神様 「天地金乃神」!

信心?

    o 神様にお願いして、「おかげ」を受けることです。
      教会に、お参りすること・教会行事に参加することが、
                                                     信心ではありません。
       「願う氏子に、おかげをさずける」、まず毎日、
       家の神様にお願いをする事です
    o おかげを受けた事を元にして、
               神様に喜ばれる生き方になり、幸せになります。
    o お参りは!
      1.おかげを受けた、お礼のお参り
                      (実は毎日、生きているのがおかげです)
      2.自分一人では、神様に願いが届かないので、
           教会の先生にお願いの仕方の指導を頂き、
           生にもお願いの後押しをして頂く。
      3.神様に喜ばれる生き方を、教えて頂く。




3.取次 
        (教会へお参りして、先生に、
                     「お願事」をお話することを言います。)
    o先生は、人の願いを神様に祈るとともに、
          神様からの「願い・思い」を伝えられます。
    o取次された事は、「願い事」が終わるまで、
          毎日先生は「ご祈念」下さいます。
    o教会は365日、無休です。
                                        (全国1600・大阪130教会)
          金光教本部の教主金光様も無休です、
                                           いつでも・誰でも会えます。


                金光教の教え

神と人間
    o天地金乃神のご身体は天地である。
       宮寺に鎮まり収まっておられるのではない、
       真一心の心に神がおられて、おかげになる。
    o天地金乃神が社に入られたら、この夜は暗闇になる。
       神の社は、この天と地である。
    o天地金乃神は、神、仏をいとわない、
       神道の身の上も仏教の身の上も、区別なしに守ってやる、
       神道も仏教も天地の間のものであるから、
       何派かに派などと、宗旨論をしたり、
       凝り固まったりするような狭い心を持ってはいかない、
    心を広く持って、世界を広く考えていかなければ
                                                             いけない。
    o人間を軽く見るな。軽く見たらおかげはない。
人間の難儀
    o我情我欲と前々の巡り合わせが難儀の元である。
    o人を殺さないと言っても、心で
       人を殺すのが重大な罪である。
       心で殺すとは、病人でも、
               「これは大病でとても助からない」
                        などと言うが、これが心で殺すことになる。
       人間の心では、助かるか助からないか、
                                           わかりはしないであろう。
       また、あの人は死ねばよいと言ったりもする。
       それがみな心で殺すのである。
       そうではなく、どうぞ向こうが改心しますようにと、
             神に祈念してあげよ。

信心とおかげ
    oおかげを受けられるか受けられないかは、わが心にある。
       わが心さえ改めれば、いくらでもおかげは受けられる。
    oおかげはたらいの水である。
       向こうへやろうとすれば、こちらへ来る。
       こちらへ取ろうとすれば、向こうへ行く。
信心の実践
    o信心といっても別にむずかしいことはない。
       親にものを言うように、朝起きたら神にお礼を申し、
       その日のことが都合よくいくように願い、
       よそえ行く時には、
             行ってまいりますと言ってお届け申しあげよ。
       そして、帰って来たら、
             無事で帰りましたとお礼を言い、
       夜寝る時にはまた、
             その日のお礼を申して寝るようにすれば、
       それで信心になる。
    o神の教えどおり願って、願いどおりのおかげを受け、
       ありがたいと言ってお礼に供える物は、神も喜ぶ。
          末の繁盛を守ってやる。
       お札やお守りの代金、
       初穂、益を取るなどという神とは、神がちがう。
       寒行として拝んで歩いている人もあるが、
       心行といって、
          人に不足を思わないで、物事の不自由を行とし、
          家業を勤め、
          身分相応を過ごさないよう倹約をし、
          だれにも言わないで行えば、 
        これが心行である。
    o人間であるから生きている間は先々のことを考えもしようし、
       心配の尽きる時はあるまいが、それがみなおかげになれば、
       心配はあるまい。心配は、信心すればみな
       おかげになる。心配は体に毒、神に無礼である。
       心配する心を神に預けて信心する心になれよ。
                                   おかげになる。
    o明日塩辛を食べるからといって、
       今日から水を飲んで待つわけにはいくまい、
            取り越し苦労をするな。
    o悪いことを言って待つなよ。先を楽しめ。
    o桜の花の信心より、梅の花の信心をせよ。
        桜の花は早く散る。
        梅の花は苦労しているからすぐには散らない。
    o負けてこらえておれ、
       負ければ損をするからばからしいと思うかも
       知れないが、神がまた、くり合わせてやる。
       そして、人からもよい人と言われるようになり、
         身に徳がついてくる。
    o坂道を九分どおり登って、それで安心してはいけない。
       その坂を登り切って向こうへおりたら、それで安心せよ。
       途中で気を緩めると、すぐ後へもどる。
    o「日に日に悪い心を持つなよ、
       人に悪いことを言われても、
       根に持ってはいけない」
       「それでも、向こうが悪い心を持って来れば
       悪い心になります」と申したら、
       「それでも、悪い心を持ってはいけない、
       良い心を持っているようにせよ」と仰せられた。
    o人にはできるだけのことをしてあげ、
       人に物をあげたくてしかたがないと いう心をもち、
       自分だけよいことをしたいというような心を持つな。
    o食物は、我が心で毒にも薬にもなるものである。
    o大酒大食は絶食のもとになる。
    o女は神に近い。信心は女からである。
    oある人が、子供の数が多くそれぞれ性格が違うので
                                          困っているとお願いをした。
       金光様はその人に、
       「もし、五本の指がみな同じ長さでそろっていては、
             物をつかむことができない、
       長いのや短いのがあるので物がつかめる。
       それぞれ性格が違うので、
             お役に立てるのである」と教えられた。
    o信心していれば、冗談にでも悪いことを
       言ってはならない。言うとおりになってくる。
       子供を叱るのでも心得ておれ。
           あほうをするな。
            ばかなどと、言ったりして叱ってはならない。
       お利口だからするな、と言えば、
           子供もお利口だからやめようと思って利口になるが、
       あほう、あほうと言うと、あほうだからしてやれと思って、
           あほうになる。
       どうしても言うことを聞かない時は、
;                                黙って尻をつねっておけ。